ただただし@はてな

まぁ、テスト用だな

[book] 時間はだれも待ってくれない

Amazonへのリンクとかどうやって作ったらええねん?

「こんど外れたら利用をやめよう」と思って申し込むとなぜか当たる、そんな本が好き!の献本で読んだ。老後のために未読のスタニスワフ・レム作品を何冊か溜め込んでいる程度にはロシア・東欧SF好きなので(←つまりどの程度好きなのかよくわからない)、嬉しいね。

当初の興味は作品そのものというよりは、ロシア・東欧SFにおける深見弾の影響力が、彼の亡き後どれくらい弱まっているのか、つまり東欧のSFに漂う「異質さ」が深見弾訳のせいなのかそうでないのかを確かめたかった。あのテイストは深見訳に依存していたのではないかという疑惑が個人的にはあったのだ。 だが、編者による前書きで、そもそもチェルノブイリ事故やベルリンの壁が崩壊した「ソ連後」の東欧の変化はそれどころの話ではないという指摘があり、そりゃそうだと居ずまいを正した。つまり新しい東欧SFが読めるということだな!

で、読み終えてみてどうだったかというと、ぜんぜん変わってねぇ(笑)。いや、もちろんほぼ2000年以降の作品ということで題材も時代背景も違っているのだけど、あの妙な味わいというか、なんちゅーか「舌触り」みたいなものはあいかわらずなんだよ。やっぱ翻訳者に関係なく独特な文化を持つ地域なんだなぁ。

特に結末のつけ方が投げっぱなしというか、「えっ、そこで終わるの?」という作品が多い。「ここできちっと締めて読者を満足させよう」みたいなお決まりのサービス精神が皆無で(良く言えば自由)、ああ、自分はアメリカSFに毒されてたんだなぁとしみじみ感じる。だからといって面白くないわけではなくて、スカっとしないぶん逆に後を引く読後感がある。

社会主義が勝利した平行世界とインターネットでつながる「労働者階級の手にあるインターネット」、第二次大戦当時の街並みが一日だけ復活する表題作「時間はだれも待ってくれない」が時代と地域性をより感じさせてくれて、個人的には好みだった。SFというよりも幻想文学と呼ぶべき作品がほとんどながら、いわゆる「ファンタジー」とはずいぶん違ったジャンルの作品ばかりだった。まぁ、収録する国の多様性を確保するためにちょっとムリのあるチョイスも混じってはいるんだけど。